祖母が23日に亡くなって仮通夜、24日に通夜、25日に葬儀となりました
通夜の後泊まり込みになるので事前に書いています。
22日に右足が壊死し始めて、医者に「今日か明日かもしれません」と連絡が父からあったので
急遽仕事を早めに退職し妹を連れて病院へお見舞いに
その時にはモルヒネを投与された後だったので痛みはあまりなかったようですが、副作用として意識がもうろうとしちゃうそうです
かろうじて私が見舞いに来たことは分かったようですが、10日ほど前に見た時とは変わり果てた姿でした
その日はしばらく滞在して帰宅し、翌日仕事が終わってお見舞いに行く予定でした
仕事の片づけをしてる最中に電話があり、先ほど祖母が亡くなったと・・・。
苦しむこともなく安らかに逝ったそうです
午前中にメールで容体を聞いたときは前日とさほど変わりはないと聞いていたのですが、午後になって容体が急変し、左足も色が変色し始めたそうです
それまでは私の両親、叔父叔母の4人で故郷の対馬の事で話をしてる時、時折笑っていたそうです
最近の記憶はあまり覚えていなくても、若いころの記憶は残っているみたいですね
普段あまりありがとうって言わなかった祖母ですが(ごめんね~とかすみませんねとかは言ってました)
最期に「ありがとう」と言ったそうです
叔父とあまり仲の良くなかったのですが、最期だから、仲直りしてから送り出したいと母が握手をさせたら
握り返してくれたそうで、これで仲直りできたのかな?って思います
まったくもう・・・人生をかけたツンデレじゃないの
私と妹が駆け付けた時には通夜が行われるところに移動してありました
それまで涙は出ませんでしたが、対面してしまうともうダメですね・・・
覚悟は決めていたのに、泣かずにいようって思ったのに・・・
「おばぁちゃん!」って声をかけたら今にも起き上がってきそうな顔をしていました
先月姉夫婦と姪が来ていた時に
「○○(姪っ子)ちゃん何が食べたい?肉?魚?そう、肉がいいのね?私は鯛が食べたいな~。退院したらごちそうを用意するね」
と話していました
それができなくても、せめて一時帰宅してみんなでご飯くらい食べれないかなぁと思っていましたが、それもできませんでした
食べることもあまりできなくなり、飴を食べるのとお茶を飲むくらいしかできなくなっていきました
生前、「みかんが食べたい、リンゴが食べたい、アイスが食べたい」とも言っていました
みかんとりんごはひとかけら食べたら満足したようです
それもだんだんと飲み込むことができなくなりましたが・・・
そんな生活でも祖母は強かった、まともに食べなくなってからも2ヶ月近くもしっかりと生きていました
日曜日に葬儀になるように頑張ったんじゃないかと親戚で話もしました
最期まで子、孫おもいなおばぁちゃんでした
喧嘩もしたこともあったけど、一緒に買い物に連れて行ってくれておもちゃとか買ってもらったり
今でもよく覚えています
車の免許を取ったとは数回しか記憶がありませんが
隣の祖母の家に泊まりに行ったときには朝食にレタス入りの味噌汁、ソフトさきイカ、小魚の佃煮、トースターで焼いたパンを作ってくれたり・・・
レタスを味噌汁に入れるって学校で言ったら驚かれてたけど。
祖母の好きだったものを棺の中にたくさん入れてやろうと思います
飴とかせんべいとか編み物道具とか・・・漬物入れてもいいの?匂い大丈夫かな?
あと、ぬいぐるみも大好きだったなぁ
今までお世話になった分、「こんなに持っていけないよ!」って言われるくらい入れてやろう
心配性な祖母だったので、あんまり泣いてると出てきちゃいそうですからね
ちゃんと送り出してあげようと思います
きっと旦那さんが迎えに来てくれているでしょう何十年ぶりの再会なのかな?
ずいぶん歳とったなぁ!?って喧嘩しなきゃいいけど(´_ゝ`)